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2015年2月 8日 (日)

松陰神社と豪徳寺

2月初め、久しぶりにカメラを持って出掛けた。

以前から行きたいと思っていながら中々行く機会がなかったところ・・・

それは、世田谷区にある「松陰神社」

長州藩の偉人吉田松陰を祀る神社だ。

なぜここに松陰神社があるか、詳細は知らずにいたが

安政の大獄で処刑された後、文久三年(1863)に松陰の門下生であった

高杉晋作、伊藤博文等によって、当時長州毛利藩主毛利大膳大夫の所領で

大夫山と呼ばれていたこの地に改葬された。と説明があった。

そして、明治15年(1882)11月松陰門下の人々が相談し、墓畔に社を築いて御霊を祀り、神社が創建されました。

とある。
今回は東急世田谷線その名も「松陰神社前」から歩き出す。
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(EOS-KissX3/EFS18-55)
鳥居をくぐり、参道を進んでいくと立派な社殿が見えてくる。

祭神は吉田松陰こと「吉田寅次郎藤原規方命(よしだとらじろうふじわらののりかたのみこと)」

とある。
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(X3/EFS18-55)

この社殿の作りが一種独特とみたが、それを考察する知識がない。

奥の社殿の屋根につく千木や鰹木の配置がクロスしたかたちになっている

あまり見たことがない構造。
それはそうと説明板にあったお墓をお参りしようと左側へ移動。

鳥居を二つくぐっていくと右手に石柱に囲まれたお墓が現れた。

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(X3/EFS18-55)
ここにもきちんと説明板が掲げてあり、わかりやすい。
銘をよく見ると祭神名の通りの名が刻んであった。


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(X3/EFS18-55)
社殿の右手には「松下村塾」が再現されている。

わざわざ山口県萩まで行くことなく松下村塾を見られるのはありがたい。

もちろんこちらはレプリカなのだが、木材の切れ込みなどこれでなかなかよくできている。


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(X3/EFS18-55)
入口左手にさりげなく今年の大河「花燃ゆ」のポスターが貼ってあった

さりげなくというには、画面構成上あまり芳しくないか・・・

もう少し控えめにお願いしたいところ。


そして、ここから程なく歩いていくと『世田谷城』跡がある。
たしかタモリ倶楽部かブラタモリでで中継したことがあったような気がする。

写真は割愛。

世田谷城後の横には地名にもなっている『豪徳寺』がある。
正式名称は『大谿山豪徳寺(だいけいざんごうとくじ)』。

曹洞宗の大層立派なお寺さんである。
それもそのはず江戸幕府大老を務めた井伊直弼の墓があるれっきとした井伊家の菩提寺だ。

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(X3/EFS18-55)
   
説明書きによると、豪徳寺は、世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために建立したと伝える弘徳院を前身とする。
そして寛永10年(1633)彦根藩世田谷領の成立後、井伊家の菩提寺に取り立てられ、

藩主直孝の法号により豪徳寺と改称した。

とある。

奇しくも、谷ひとつ隔てて安政の大獄を企てた井伊直弼の墓と投獄され刑死された吉田松陰のお墓が

こんなに近くにあるとは何か因縁めいたものを感じる。

近年はそんなことより「招き猫」のお寺の方で有名になって、猫好きの方々に注目されている。

それがこれだ!

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(X3/EFS18-55)

ちょっとエグザイルっぽいかと思って撮ったけど、いまひとつ。

しかし、これはやはり商売繁盛なのかな・・・
大中小極小と招き猫が奉納してある。


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(X3/EFS18-55)

これだけあるとやはり迫力あるな。

最後に、吉田松陰先生の坐像を掲げて今回のブログはおしまい。


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(X3/EFS18-55)
後記:何だかブログアップするのに期間が空きすぎて要領を忘れてしまった。
今年はぼちぼちアップするようにしたいという所存であります。

2013年5月12日 (日)

松山遍路(2)食い物編

引き続き、松山の旅は続く。

今回は、食い物編です。

「名物にうまい物なし」とは良く言ったもので、

銘菓とかでもがっかりすることがよくある。

しかーし、今回はうまいものづくしであった。

まずはこいつ、

『坊っちゃん団子とマドンナ団子』

そして『ポンジュース』

ポンジュースは空港の蛇口から、団子は松山城で調達した。

手前がマドンナで向こう側が坊っちゃん。

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次は、初日の夜『にきたつ庵』で所望した夜膳「甑(こしき)」

先付けと刺身、それからメインの桶料理、吸い物、釜飯そして最後にデザート

テーブルに載り切れないくらいのボリュームだ。

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料理の詳細は覚えきれないので以下の写真を参考されたい。

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二日目、本来ならさぬきうどんを探訪するつもりであったが

残念ながらその時間は取れないことが判明したため

こんぴらうどんで手を打つことにした。

場所は今治市『かま福』だ。

数々のブログによれば愛媛県内で絶品の釜揚げうどんが食べられると言う。

釜揚げはうどんを茹でてそのまま出すのが本式であり、

水で締めることをしないのでコシは若干弱くなるがうどん本来の味が楽しめる

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こじまりとした造りで老夫婦とおねえんさんの3人で店内を切り盛りしている。

人気店ゆえ混雑が予想されたが運良くすんなり入ることが出来た。

いただいたのは「釜玉(釜揚げ玉子うどん)」

よく茹でたうどんに玉子をぶっかけて出すところがあるがあれはダメ。

こちらのお店はちゃんと丼にあらかじめ生卵を割り入れ、かき混ぜた中に

茹でたての熱々のうどんを投入し、玉子が半熟状態になったところに

生醤油を垂らして、はふはふと頂く本式の釜玉。

秒単位で時間を計って茹でられるうどんはまことにもって絶品だ。

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器も地元の砥部焼を使っているところが好ましい。

(実のところ大抵のうどん店は砥部焼みたいだが)

三日目、西日本最高峰の石鎚山へ行ったのであるが

途中棄権で登山口の土小屋でたむろしていた。

そこのお茶屋で頂いた焼き餅。

「ゆず餅、草餅、芋餅」(名称不明)

中に餡(こしあん、つぶしあん)が入っており、

これを熱々に焼いたのを頂く。

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三日目、夕食は豪華山荘料理。

通称、篠さん山荘でこれでもか、と出てきた料理の数々。

まず、バーベキュー

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そして、塩釜(鯛)

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焼き具合もばっちり。

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そして北海道から空輸してきた海老と海鮮。

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これらをワインで流し込んで、もう至福の時でした。

四日目。

塩釜にしなかった鯛を「鯛飯」で頂く。

朝から贅沢なメニューでした。

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お昼は、松山市内の人気うどん店『瓢月(ひょうげつ)』でうどん。

こちらは店内も広く、メニューも豊富な一般うどん店。

野菜天ぷらが別盛りでくる「野菜天うどん」と「肉うどん」

そしてサイドメニューとしてちらし寿司を頂いた。

こちらのうどん店はサイドメニューが豊富で天ぷら、いなり寿司は勿論のこと

おでんとかもあって色々と楽しめる。

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(ちらし寿司と肉うどん)

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(野菜天うどん)

二日目の夜の写真がないのが残念であるが、

『五志喜(大街道)』というお店で刺身、じゃこ天、じゃこカツ

そうめんを美味しく頂いた。

ホントに思い出すだに美味美食の旅であった、関係者に感謝。

だんだん。

2013年1月14日 (月)

新年(2013年)

色々あった一年が過ぎ、また新しい一年が始まる。

良い一年になるようにしたい。

今年は「巳年」ということで、へびの年。

この巳年というのは金運が上昇するなどと言われている。

不況から早く脱却して欲しい。

ということで銀座に出かけたら「へび」発見。

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(EOS-10D/EF28-135/Av)

某○ル○リというファッションブランドのビルである。

どう見ても「へび」でしょ、これ。


所変わって某月某日

青天が続いているので近所にチャリを飛ばす。

え〜天気じゃのぉ〜と見てみると、「桜」が

そうであった、ここの桜はこの時期咲くのであった。

「十月桜」という種類らしい。


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(EOS-10D/EF28-135/Av)

春咲く桜と違って、ちんまりと可愛げに咲いている。

そしてもう1カット。


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(EOS-10D/EF28-135/Av)


某月某日 成人の日、今年初の雪

昼前から降り出した雪はみるみるうちに積もるくらいの量になった。

横殴りの吹雪みたいに降り続く・・・

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(EOS-10D/EF28-135/Av)


もうこうなったら居ても立っても居られなくなり外へ出る。

南国生まれなので雪は珍しいし雪景色は貴重だ。

近くの野球場の壁面なのだが

ここに降り付ける雪片が面白い模様を醸し出している



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(EOS-10D/EF28-135/Av)


さらに探検を続けると、氷河期にもだえ苦しむ恐竜を発見。

いやあ。これでは相当ダメージ受けてるみたい。


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(EOS-10D/EF28-135/Av)

雪景色といえば、「雪だるま」が定番。

あまりの降雪量に子どもたちも出掛けていないか。

と、思っていたら居ました。いやありました雪だるま。

あまりの暴風雪に壁に潜むように佇んでいました。


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(EOS-10D/EF28-135/Av)

さて、むじな雪だるま、誰か表情を付けてくれるのかな。


2012年10月28日 (日)

東京駅丸の内駅舎

東京駅丸の内駅舎が新装相成ったということで見に行った。

東京駅というのはよく利用する割には、外から見るということはほとんどなかった。

どうせ行くならと、オープンビューのバスで。

これならよく見えるぞ。


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(10D/EF17-40/Av)

というのは、冗談で。

近くを走っていた観光バスでした。

でも、1回は乗ってみたいなぁ。

まず手始めに、駅舎全体を見ることにした。

東京駅!

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(10D/EF17-40/Av)

バックにC62の動輪が見える。

地下コンコースに飾られている模型でした。

次に丸の内北口。

オアゾとかある方ね。

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(10D/EF17-40/Av)

中央口。

以前赤瀬川原平さんが、(カメラの)ペンタプリズムみたいだと

いっていた、屋根部分は北口、南口は丸形に修復されたが

中央口はペンタプリズム型のまま。

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10D/EF17-40/Av)

で、実際はというと・・・こんな感じ。

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10D/EF17-40/Av)

はとバスをアクセントに配置してみました。

この中央口から、ずっと皇居まで続く通りが「行幸通り」

今年は、この行幸通りに駅舎新装を祝って稲を植えたみたい。

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(10D/EF17-40/Av)

豊作のようです。稲穂が垂れてきています。

続いて、内装を見て回る。

話題になったせいで結構見学者がひしめいていた。

写真撮るのも一苦労。

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(10D/EF17-40/Av)

八角形の組み合わせで実に美しい。

十二支の動物が飾ってあるというので探してみた。

あるある、「辰(竜)」

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(10D/EF17-40/Av)

この八角形に十二支をどう配置してあるのか、ぐるりと見回したのが

どうやら12種類全部はないようだ。

何故だ?と考えてみたが、よくわからん。

予算の都合か、何かだろう、多分。

合間に夕食を挟んで、再度夜の駅舎を見に行く。

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(10D/EF17-40/Av)

夜は夜で雰囲気があって、よろしい。

今度行くときは、新丸ビルのオープンテラスから撮ってみたいなぁ

そんな事を考えた一日だった。

2010年4月11日 (日)

花見

ちょっと休憩

花見は人間だけの特権ではない(ワン)
ウィ〜ック、おかわり持ってこい〜
つまみもなぁ〜

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(X3/EF-S18-55/P)

呑み過ぎには注意しましょう。

観覧車をめぐる

桜満開。
天候が崩れるというので今日が最後かと思い
葛西臨海公園へチャリを走らせる。
今日のテーマは大観覧車をぐるりと回るコースで桜を撮るというもの。

まずは南側から
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(X3/EF-S18-55/P)

桜、桜と走っていたらツツジを発見。
これはいいかな、と。

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(X3/EF-S18-55/P)

もう少し観覧車の近くへ寄ってみる。

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(X3/EF-S18-55/P)

海辺の方へ移動して菜の花を入れてみる。
何だかこちらへ転がってきそうだ。

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(X3/EF-S55-250/P)

さらに水族園をぐるりと迂回して鳥類園の方へ。
トーマス君もやってきた。

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(X3/EF-S18-55/P)

さらに東側へ移動して鳥類園のウォッチングセンターから

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(X3/EF-S18-55/P)

観覧車の南東側にあたる庭園へ行ってみる。
ここは滅多に入ったことがないのだな。
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(X3/EF-S18-55/P)

2010年2月 7日 (日)

『龍馬伝』を行く(1)

大河ドラマ『龍馬伝』は面白い(と思う)
やっぱ幕末維新モノは興味深い、のだ
で、龍馬伝あるいは坂本龍馬に由緒ある場所をまわってみる事を今年のテーマにする

本来であれば、生まれた場所土佐の高知にすべきかもしれないが
いかんせんおいそれと行けるところではない
そこで大河ドラマに敬意を表して語り手岩崎弥太郎から始めることにした
これなら都内であることだし、すぐに行ける

まずは江戸城
内堀のひとつ、馬場先堀

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白鳥が寄ってきて、案内をしようと申し入れてきたが
丁重にお断りした
今日は江戸城ではなく、丸の内の散策なので
無血開城後お願いすることにした

龍馬と同じ土佐藩出身の岩崎弥太郎は海運を手始めに事業を展開
今の東京丸の内一帯を手中におさめる
当時を知る絵図がここにある
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こんな野っ原みたいなとこだったのか?
上屋敷とかいっぱいあったはずなんだが
ま、手抜きの今でいう「イラスト風マップ」ということか

三菱1号館
今は美術館兼ショップ
中も一部だが見ることができる(無料)
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3階建てだが、一部は1、2階ぶち抜きの先進的なフロア構成
全景をとらえるのは現状では不可能なので
奥の手を使うことにする

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こんな感じ
ちょっと気になって裏手にまわってみることにしよう

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明治時代だけあって桶を運ぶおじさんがいた
おじさん一体何を運んでいるのか?
真っ先に頭に浮かんだのは「金肥」
でもなぁ〜そんなのわざわざ描くか?
おじさん語らずの体なので先を急ぐ

草の生える柱
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三菱1号館の横というか後ろ側のビルの柱
実にエコというか緑豊富な情景だ

ところがその横のビルは荘重な感じの石積みのフロントなのだ
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実に重々しい
左手奥に1号館が見える
こうやって地所を増やしていったのだな
恐るべし九十九商会

先を急ぐ
この建物のはす向かいは旧土佐藩上屋敷跡
山内容堂がいたところだ

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今は「東京フォーラム」という

その前は東京都庁(元、東京府庁)があったところ

無駄に広いというか、もっと使い道なかったのか、といいたい
同じ場所での立て直しがきかない都庁は
この後新宿へ移転することになるが
あれはあれで威圧的な感じがしてどーも好きになれない

丸の内から八重洲へ抜けると「鍛冶橋」
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土佐から江戸へ来た龍馬が剣術の修行をした

北辰一刀流の千葉定吉道場がこの辺りにあった

不定期「『龍馬伝』を行く」第1回は、これでおしまい
史実を忠実に再現できなかったことをお詫びします
では次回をお楽しみに